ご先祖様の足跡を求めて

ご先祖様の記録を追うとともに全国に点在する同姓の発祥を考えます

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

角屋 久光商店

長らく戦国時代の久光氏について記述してきました。 今回は一気に現代に近づき、私の高祖父・曾祖父について書きます。 高祖父・久光茂平 嘉永5年12月24日~明治38年6月10日 曾祖父・久光伊之助 明治8年1月21日~昭和3年6月29日 大日本商工録 公認. 昭和3年…

筑後国 久光氏

前回は肥前国で帰農し永吉南村庄屋を務めていた久光氏について書きました。 今回の話題は肥前国のすぐ東隣にある筑後国の久光氏。 九州の旧国地図(『白地図専門店』https://www.freemap.jp/より) まず位置関係について。肥前国の東端が現在の佐賀県鳥栖市…

永吉南村庄屋

肥前国で帰農した久光氏の話です。松尾禎作「郷土田代を語る」によると、基肄郡永吉南村では初代から4代目までの庄屋を久光氏が勤めています。 松尾禎作『郷土田代を語る』私家版,1938 初代 久光文右エ門(別の資料では「又右衛門」)二代 久光源右エ門三代…

肥前国 久光氏4

久光善内について長々と書いてきました。 子孫かもしれない久光正喜氏。熊本市内を探せば子孫の方に行き当たるかとおもいきや。 なんとこの久光正喜氏、明治22年7月に屯田兵として北海道に渡っていました。 http://consulparty.in.coocan.jp/tondenhei.pd…

肥前国 久光氏3

加藤清正の庇護のもと、筑紫氏も旧臣もひとまず安泰と思ったのもつかの間。 加藤家は二代目でまさかの改易となります。 加藤家のあとには細川家が肥後の国主として入府します。 筑紫広門は細川氏のもとでも庇護されていたようですが、旧臣たちはどうでしょう…

肥前国 久光氏2

前回紹介した久光善内。 主家の筑紫広門は、島津の猛攻にあって防戦の甲斐なく落城します。 落城後の筑紫広門は、筑後国の大善寺に囚われの身となっていましたが、秀吉が九州に到着したことを知ると脱出し、旧臣を集めて秀吉のもとに参陣します。 島津氏に奪…

肥前国 久光氏

現在の佐賀県鳥栖市付近には久光姓の存在が確認できます。 これらの方々にお尋ねしたところ、複数の方から「(戦国大名)筑紫氏の家来だったけれど、島津氏の侵攻によって筑紫氏が滅んだので武士を辞めたらしい」という趣旨のお話をお聞きしました。 鳥栖市…

全国の久光姓の分布

久光という名字の分布には偏りがみられます。 人数の多い地域を大雑把にグループ分けしてみると (1)宮城県グループ 宮城県には久光満重という武将がいたそうです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/久光満重 葛西氏、伊達氏の家臣として残っていることから…

利平二男・時次氏

以前も少し書きましたが、久光利平には二男・時次という息子がいました。 万延元年(1860年)4月7日生まれ、明治14年に二十歳を迎え徴兵される年齢になりました。 「明治十四年徴集諸名簿」によると、失踪ニテ身体下検査未済之部にその名前があります。 そ…

薬屋の末裔2

前回の続き。 久光利平の残した資料が博物館等に残っています。それらによると、佐賀県神埼や長崎県方面に行商に行っていたようです。 写真はありませんが、長崎には得意先が500軒(!)もあったそうです。 それだけお抱えの得意先があったなら、薬袋など…

薬屋の末裔

「ヒサミツ」と聞いて何を思い出すでしょうか? 大多数の方がサロンパスで御馴染みの久光製薬さんを思い出し、幕末ファンは島津の国父様を思い出すのではないでしょうか。 前者は同じ対州藩田代領内の同姓なのですが、我が家で判明している18世紀後半のご先…

ブログはじめたそのワケ

上るほどに勾配が急になってくる坂道。 ご先祖様を調べているとそう感じることがあります。 最初のうちは戸籍を延々と集め、それらを手に入れるたびに進展があります。 ですが、戸籍を集め終わったその先に進もうとすると、途端に歩みが重たく、一歩先に進む…