「久光」という地名
苗字の由来の多くは地名によるものと言われています。
では、久光という苗字のもととなるような地名は、どこにあったのでしょうか。
太田亮氏の『姓氏家系大辞典』には、
「久光 ヒサミツ 筑前国那珂郡久光邑より起りしなるべし。」と書かれています。
この場所は、現在の筑前町久光(旧三輪町大字久光)に比定されています。
佐賀県鳥栖市や福岡県小郡市そしてその周辺に見られる久光氏は、この地名から興った久光氏の末裔であろうと言われると何となく納得できそうです。
久光邑から興った一族が、西へ移動して鳥栖市周辺まで来た。
そして、筑紫氏の支配下の地侍になり、故郷の地名を取って久光を名乗った・・・というストーリーです。
史料は無いものの、物理的な距離など状況を見るとそれなりに説得力のある仮説だと思います。
ただし、100%とは言えません。気になる点もあります。
・気になる点1つめ。
地名由来の苗字である(と思われる)のに、筑前町久光には現在久光氏が全然居ま
せん。
・気になる点2つめ。
その地名を名乗る地侍ならば、秋月氏の家臣にも久光氏がいてよさそうですが、
秋月家臣に久光氏が居た気配は感じられません(私が知らないだけかも)。
・気になる点3つめ。
『角川日本地名大辞典(40福岡県)』では
「久光村 江戸期~明治22年の村名。筑前国夜須郡のうち。黒田長政の入国のの
ち、栗田村から分村して成立。はじめ福岡藩領、元和9年から秋月藩領。(以下
略)」
と書いてあります。
戦国時代から久光を名乗っていたのに、久光村の成立が江戸時代とされています。
太田亮さんのおっしゃるとおり久光邑発祥、そして事情があって西に移動してきたという仮説でたぶん間違いないと思っていますが、今後の調査では、これらのひっかかる点を忘れずに大切にしたいです。
余談ながら、秋月氏は江戸時代に日向高鍋(宮崎)へ転封になり幕末まで続いています。電話帳サイトで調べると、宮崎にも数名の久光氏がおられます。
とても気になっています。