「久光」という地名3
前回まで角川日本地名大辞典に収録されている久光という地名について考えてみました。
当然かもしれませんが、この大辞典にもすべての地名は収録されていないようです。
現在の広島県三次市には、かつて久光城というお城があったようです。
また、近くには久光谷という地名も見えます。
久光城というくらいなので、城主は久光氏なのかと期待しますが、
残念ながら、三吉氏家臣近実氏が城主とのことでした。
ですが、こういう大辞典にも収録されないような、現在では忘れられつつある地名から興った久光氏が居てもおかしくないのではないでしょうか。
実際に、『毛利氏八箇国御時代分限帳』を開くと、
久光四郎左衛門という侍の名前が見られます。
岩見国の美濃という地名に5.4石をもらっていたようです。
岩見国と安芸国では距離がありますが、どちらも毛利氏の領地ですから久光城・久光谷出身で久光を名乗った可能性もゼロでは無いのではと思っています。
毛利氏は後年領地を大幅に減らしますので、残念ながらその後の分限帳に久光氏は居ないようです。
ですが、こちらの記事で紹介した久光佐渡氏。
もとは周防国出身で毛利家中だったと書かれていました。
城主クラスに久光氏は見られませんが、案外中国地方には多くの久光氏がいたのかもしれません。
現在山口県に多く存在する久光氏の中には、もとは毛利家臣と伝わっている家があるのではと予想しています。
いつかお話をおうかがいしてみたいですね。