田代領の久光氏
これまで各地の久光氏について述べてきましたが、断然気になるのは自家と繋がるであろう田代領の久光氏です。
いままで様々な資料を収集し、田代領の久光氏のデータを集めてきました。
以下に示すものはそれら公開されている資料をまとめたものになります。
※一般に公開されており誰でも見ることが出来る石造物の刻銘は載せています。
※一般的に公開する前提ではない墓碑などのデータは載せていません。
※ご存命の方が居る可能性がある昭和時代の資料のデータは載せていません。
現在ではわずかになってしまいましたが、戦前までは田代地区にたくさんの久光家があったことが分かります。
「※」にも書いてますが全部を掲載しているわけではないため、実際には表よりもっと多くの久光氏がおられます。
これだけ名前があるのに、同族関係がさっぱり分からないという不思議な久光一族。
かつてお話を聞いた昭和一桁生まれの方ですら、「どこそこが本家」などという同族関係は聞いたことが無いとおっしゃっていました。
これらの家々は、おそらく江戸時代のあいだに分家を繰り返したものと考えられます。
かくいう我が家も、どこかの久光氏から分かれたと思われます。
先祖調べのセオリー「上からと下から」のとおり永吉南村庄屋家を総株家と仮定して関連する史料を探しているのですが、元禄から寛政にかけての約100年の空白期間を埋める史料に出会えていません。
くじけそうなところですが、前向きに考えると「たった100年、世代換算で3~4世代」を判明させることができ永吉南村庄屋家に繋がる(または繋がらない)ことが確定すれば、それはひとつの到達点と言えそうです。
もし、田代領久光氏の系図や同族関係を示す資料を所持している、所在を知っているという方がおられましたら是非ご連絡いただきたいところです。ぜひご一報ください。