肥前国 久光氏4
久光善内について長々と書いてきました。
子孫かもしれない久光正喜氏。熊本市内を探せば子孫の方に行き当たるかとおもいきや。
なんとこの久光正喜氏、明治22年7月に屯田兵として北海道に渡っていました。
http://consulparty.in.coocan.jp/tondenhei.pdf
篠路兵村というところに入ったようです。
現在は札幌市北区屯田というらしいですが、住所でポン!によるとなんと1名だけ久光姓の方がいることが判明。久光正喜氏のご子孫である可能性が高いです。
さっそく手紙をお送りしてみましたが、「宛名に行き当たらず」と戻ってきてしまいました・・・。転居なさってしまったようです。
こうなると、素人にはこれ以上お探しするのは困難です。
戦国時代に島津氏と戦い敗れながらも豊臣大名として復活し、その後の関ヶ原で西軍について改易と波乱にとんだ筑紫氏。
その主家と運命を共にして肥後まで行った久光善内。
もしかしたら、その子孫かもしれない久光正喜氏は北海道まで渡っていきました。
本当にご子孫でしたら、善内のDNAは本当に遠くまで行かれたものです。
嗚呼、それにしても、久光善内のご子孫だったのか、肥前国時代の言い伝えや久光氏の出自、家系図について腹の底から聞いてみたかったと残念でなりません。
4回にわたって書いてきた久光善内については、ひとまずここまでですが、私が生きているうちに何か情報が入ってくることを祈るような気持ちでいっぱいです。