角屋 久光商店
長らく戦国時代の久光氏について記述してきました。
今回は一気に現代に近づき、私の高祖父・曾祖父について書きます。
高祖父・久光茂平 嘉永5年12月24日~明治38年6月10日
曾祖父が営業していた角屋(久光商店)です。
創業は明治30年とありますから、高祖父の時代に創業し、曾祖父が発展させたようです。
高祖父は明治38年に亡くなっていますから、このような記事で高祖父の名前が掲載されたものは発見に至っていません。九州の個人商店に関して明治時代のものはあまり残っておらず、資料を探すのは大変です。
さて、営業内容ですが、「陶器、荒物、牛乳」とあります。
陶器・荒物はともかく、牛乳とは目を引きます。
明治時代の九州といえば、現代とは比べ物にならないほど東京との格差が激しかったと思います。ひとことでいえば”イナカ”だったはずです。
そんな時代に九州で牛乳販売?なんだか唐突な感じを受けます。
一体いつ頃から牛乳を売っていたのか、というのが気になるところですが、
明治44年の「駅勢一覧」には鳥栖駅構内牛乳呼売人として曾祖父の名前がしっかり書かれていました。
どこの時点で始めたのかは判然としませんが、少なくとも明治時代には牛乳を売り始めていたようです。ハイカラな話ですね。
それにしましても、国鉄駅構内で営業を許されていたことは驚きです。
現代のように入札で業者を決める時代ではありません。どうやって入ったのでしょう。
根拠となる資料が無いため仮説と呼べるか分かりませんが、ひとつには地元の有力者・八坂甚八氏との関係が考えられます。
地元では有名な話ですが、いち早く鉄道の有用性に気づき鳥栖に鉄道駅を誘致したことで八坂甚八氏は知られています。
しかも大地主で国会議員も務めた、地元の名士中の名士です。
ここで最初に掲載しました「大日本商工録 公認. 昭和3年版」の取引銀行を改めてみますと、「八坂銀行」となっています。
完全に憶測というか妄想になりますが、、、
・地元に鉄道を引いた八坂氏。
・駅弁に関しては、地元の橋本氏が「八坂+橋本」で”八ツ橋屋”という弁当屋さんを開いて構内営業してもらうことができた(これは本当)。
・あとは、東京の駅には「ミルクスタンド」があるのに、わが地元には無いことを残念に思っている。
・さて、角屋の経営のため八坂銀行に出入りしていた久光氏。たまたま八坂甚八氏の目にとまり「君、駅で牛乳売ってみらんかね?」
・こうして角屋(久光商店)は陶器・荒物に加えて牛乳販売も手掛けることになったのであった。
・・・というストーリーが一番しっくりくる気がしています。憶測とはいえ大外れとも言えないのではないかと思います。
でもなければ、一般庶民の商売人がそう簡単に国鉄構内に営業に入れるとは思えないのです。
この仮説(?)の真偽を確かめるために、九州鉄道構内営業関係や八坂家文書を見つけたいです。ほんの少しでも当時の背景が確認できたら嬉しいです。