ご先祖様の足跡を求めて

ご先祖様の記録を追うとともに全国に点在する同姓の発祥を考えます

角屋 久光商店3

高祖父・久光茂平が興し、曾祖父・久光伊之助が発展させた角屋久光商店。

どのくらいの稼ぎがあったのでしょうか?

当時の商工録から記録を拾ってみました。

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屋久光商店 営業税・所得税


データが少ないですが、大正末から昭和初めが最も稼ぎが良かった時代のようです。

 

明治〜平成 値段史

このサイトの「2.給料・賃金」の大正14年を見ると、

 勤労者世帯実収入(月)(2人以上勤労)114円

 大卒初任給               50円

 大工手間賃(1日)          3.5円

 日雇い労働者賃金(1日)       2.1円

となっています。

 

これらの金額は、1円=4500円程度で換算してみると令和のものと近い金額になるようです。

 ・50円×4500=225,000円 大卒初任給

 ・2.1円×4500=9,450円 日雇い労働者賃金(1日)

そこで、仮に1円=4500円の価値とすると、

昭和三年・77円=令和二年・346,500円くらいの納税額というところでしょうか?

 

価値の換算は容易ではありませんが、

こうやって推察してみると、「金持ちでは無いが家族で食っていく分には当面困っていない」という生活状況が見えるように感じます。

 

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大正天皇御仮営所址(鳥栖小学校)石碑

さて、角屋久光商店の経営状態が上記のような感じであった時代。

大正天皇が陸軍大演習のため鳥栖にお見えになられます。

それを記念し大正7年に建立された石碑が残っていました。

曾祖父・久光伊之助が寄付した金額は3円。

1円=4500円仮説で換算すると、現代価値で13,500円くらい。

その寄付額が高いのか安いのかは、分かりません。

ただ、石碑に刻まれた名前をひ孫が見つけて大喜びしている姿は、流石の曾祖父も想像だにしなかっただろうことは、容易に分かります。

こういう体験をすると、自分の孫やひ孫へのサプライズとして、石碑建立に寄付をしたい気持ちになってきますね。いつの日か見つけてもらえる願いを秘めて・・。